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ごあいさつ

病院事業管理者 中田 精三

病院事業管理者 中田 精三

 市立伊丹病院は昭和32年9月に春日丘に開設された病院でしたが、手狭まになってきたとのことで昭和58年5月9日に現在の昆陽池1丁目に414床の新病院として開院しました。その後、平成元年5月には検診棟、平成3年3月には外来棟、平成24年7月には医局棟を増築して、新しい診療科やESD(Endoscopic Submucosal Dissection:内視鏡的粘膜下層剥離術)などより質の高い医療が行えるようになってきました。

最近における病院の経緯としては、平成21年2月には総務省の「公立病院改革ガイドライン」に対して「市立伊丹病院改革プラン」を作成し病院運営の改善に着手しました。その後1年ごとに、「DPC(診断群分類包括評価)対象病院」となり、「兵庫県指定がん診療連携拠点病院」の指定、「地域医療支援病院」の名称承認の獲得、「病院機能評価」の認定を受けました。

医局棟の新築に伴い空いた場所を利用して、「内視鏡センター」と「人工関節センター」の新設を行い、増加してきたがん患者に対しても「化学療法室」の増設を行いました。また、2手術室の増設を行い、年500例を超えた整形外科の人工関節置換術にも対応できるようにしました。電子カルテの更新時には情報のIT化や標準化したデータベースを作成して、医療の「トレーサビリティ(履歴追跡)」と「トラッキング(履歴確認)」が可能になるようなシステムを構築し、輸血、輸液、服薬のIT化による診療支援が可能になるよう進めています。今後は医療機器の情報管理にも利用できるようにしたいと考えています。

今年4月には医師数は112名となっており、平成21年からは呼吸器外科、老年内科、アレルギー疾患リウマチ科、形成外科、病理診断科、糖尿病センター、乳腺外科を段階的に新設し、現在は脳神経外科の常勤医も勤務しています。本年度からはIMRT(Intensity Modulated Radiation Therapy:強度変調放射線治療)が開始できるまでになっており、またICU医師の24時間配置体制も開始しています。

臨床研修医は毎年full matchしていますが、実際の研修現場を見ると6人ではやや少なく未だ余裕があるように思っています。当院には27診療科、指導医養成講習会を受講した指導医が42名、専門医が73名、また専門・認定看護師が11名、同じく専門・認定薬剤師が12名おり教育環境としては整っていることから、関係機関に対して研修医の増加を積極的にお願いしていきたいと考えています。

昨年には全国公立病院連盟から当院が近畿・中国・四国支部の中での「優良病院」として表彰を受けました。この表彰は地域医療への貢献と財政的に安定した運営をしている病院に対して選考され、県立病院を含む多くの公立病院の中から選出された快挙であり、職員の日頃の努力が報われたものであると考えています。

昨年の医療法の改正にて国の基本方針は、急性期を中心とした治す医療から生活を支える医療へと舵が切られており、急性期から回復期、在宅医療、介護までの医療が求められ、地域包括ケアシステムをどのようにするかが問われています。医療機関では機能分化や連携、効果的・効率的な医療提供体制の構築が求められます。このような状況を踏まえ、当院は病床機能報告では急性期を取っております。
平成26年度3月末日には厚生労働省から「地域医療構想策定ガイドライン」が、総務省からは「新公立病院改革ガイドライン」がだされました。この平成27年度には県が二次医療圏ごとに地域医療構想の策定をすることになっています。具体的には地域医療構想調整会議を立ち上げて検討されることになります。

「安全で、質の高い医療を、効率よく」を基にして、今後は国やこの県の方針に従った急性期病院としての機能を充実させる必要があり、患者を含めた病院全体としてのチーム医療を進めて行きたいと考えております。今後ともご指導、ご協力を宜しくお願いします。

病院長 飯石 浩康

病院長 飯石 浩康

病院長 飯石 浩康

  伊丹市民のみなさま、初めまして。私は平成29年(2017年)4月に市立伊丹病院の病院長に就任いたしました飯石 浩康(いいし ひろやす)と申します。新米病院長で就任して間がございませんので今回は当院のご紹介よりも自分の自己紹介をさせていただきます。

 私は昭和30年(1955年)に島根県で生まれました。みなさんもよくご存じの出雲大社がある出雲地方の大原郡大東町(現雲南市)という小さな田舎町で生まれ約20年間島根県で過ごしました。その後大阪大学医学部に入学し昭和56年(1981年)に卒業しました。大学生の間は伊丹空港(大阪国際空港)を挟んで当市の反対側の大阪府豊中市に住んでいました。卒業後は大阪大学第二内科で1年間研修した後、昭和57年(1982年)に大阪府立成人病センター(現大阪国際がんセンター)第三内科(現消化管内科)にレジデントとして就職し、1年後に常勤となり、そのまま通算35年間同センターで消化器内科、とくに消化管(食道・胃・大腸)のがんの内視鏡診断と治療に従事してきました。その間約5年間を大阪市、その後約30年間を大阪府吹田市で過ごしました。そしてこの度35年ぶりに転勤となり当院にまいりました。当院病院長の話があった昨年12月に初めて当市を訪れました。街全体がコンパクトにできていてとても住みやすい印象を受けました。4月下旬には吹田市から当市内に引っ越す予定です。 JR伊丹駅前には「日本一安全・安心なまち」というのぼり旗がたくさん立てられています。新参者もきっと優しく受け入れてもらえるものと安心しています。早く当市での生活に慣れてみなさまと親しくお付き合いできることを願っています。当院でも新参者になりますが、専門分野や所属する医局の関係で、副院長の筒井先生を始め消化器内科には懇意にしている先生たちがいますのでとても心強いです。今後できるだけ早く院内の状況を把握し今後の方向性などを考えてまいります。

 ところで伊丹市は清酒発祥の地だそうですね。江戸の豪商鴻池家の初代新六が当市の鴻池で初めて清酒を作り大儲けをしたのが鴻池家躍進の始まりだとか。新六は、戦国大名尼子氏の家臣であった山中鹿之介の子孫ですが、その尼子氏は私のふるさと大東町の隣にある広瀬町(現島根県安来市)の月山冨田城を本拠地としていました。このことを知った時には当市との不思議な縁を感じました。
 「私たちは安全で、安心な、信頼される医療を提供します」が当院の理念です。当市の「日本一安全・安心なまち」というキャッチフレーズに相応しい理念だと思います。平塚前病院長はこの理念の実現のために尽力され、高度の医療技術や設備を導入し、最新の信頼される医療の提供と人権に配慮した医療を実践されてきました。医師及び医療関係職と事務職員等との協働・連携によるチーム医療を推進するとともにその人材育成にも実績を挙げられ、それによって地域の中核病院として急性期医療を担うにふさわしい診療体制が築かれました。
 私は平塚前病院長が築かれた診療体制のさらなる強化に努力するつもりでいます。当院は兵庫県の「がん診療連携拠点病院」に指定されていて、高度ながん診療が求められています。私はがん専門病院である大阪府立成人病センターに長らく勤務していましたので、その経験を生かして当院のがん診療の体制やレベルをさらにアップさせたいと考えています。また専門である消化器内視鏡の診療にも積極的に関与し市民のみなさまに貢献いたしたいと考えています。

 市民のみなさまから信頼される質の高い急性期医療及び専門医療を提供する基幹病院を目指して、今後も職員一丸となって邁進してまいりますので、ご支援、ご協力をお願い申し上げます。